震災で破損した巨大望遠鏡。どん底から救ってくれたのは、日本中、世界中の星仲間だった。星に取りつかれた天文”楽”者「星の村天文台」台長『大野 裕明さん』

大野 裕明さん/星の村天文台 台長

滝根町

小学生の時に担任の先生に望遠鏡で見せてもらった太陽がきっかけで、「天文病」(造語。天体や天文現象しか見えないほど、天文が好きな様子)に。21歳の時、高校生の頃から行動を共にしていた天体写真家の藤井旭氏や、藤井氏の愛犬チロらとともに、私設天文台「白河天体観測所」を立ち上げ、全国のアマチュア天文家らの羨望を集めた。1990年代には福島県滝根町(現在の田村市滝根町)の町おこし事業の一環として計画された「星の村天文台」の立ち上げに尽力し、台長に就任。得意の話術で宇宙の魅力を多くの人に広めている。自称「天文楽者」。

星空ばかりを追い求めた青春時代

大野さんが生まれたのは、大きな町の一軒家。実家は染物屋、兼、呉服屋を営んでいた。小学校高学年の時、理科が専門だった担任の先生が、休み時間に望遠鏡をもってきて太陽を見せてくれた。普段肉眼では直視することのできない太陽の姿に、大野さんの心は沸き立った。他にも、遠足に行けば化石を見せてくれ、また「カシオペア座を探してくる」という宿題を出されたこともあった。そんな小学校時代を過ごした大野さんは、中学に上がる頃にはすっかり「天文病」にかかっていた。

写真が趣味だったお父さんの影響もあり、中学に上がった頃からは星空の写真ばかりを取るようになっていた。1965年、当時世界中で話題になった大彗星「池谷・関彗星」の撮影にも成功し、その写真は今も大切に保管している。

毎日星空のことばかりを考えていた大野さんは、当時は決して社交的なタイプではなく、友達も多くはなかった。
「そりゃそうですよね。周りは誰も読まないような、ルビの降ってある難しそうな本を好んで読んでいるようなタイプでしたから」
それでも、星と関わっていられる時間を考えれば、そんなことは大した問題ではなかった。

そんな大野さんの大きな転機となった出来事がある。それが、大野さんが高校生の時、同じ県内に住んでいた天体写真家の藤井旭氏との出会いだ。大野さんより7歳程年上だったが、星好きという共通点で、2人はすっかり意気投合した。それからは、免許を取ったばかりのバイクに乗り、藤井氏に会うため藤井氏の住む町まで通う毎日になった。
大野さん曰く、「藤井がいなければ、今の自分はなかった」それほど大切で、尊敬できる師匠であり、星仲間と大野さんは巡り合うことができた。

台長チロ(犬)率いる星好きメンバー5人で設立した「白河天体観測所」

1969年、全国的にもめずらしい私設天文台「白河天体観測所」が設置された。これを設置したのが、藤井氏を中心に集まった星好きの仲間たち。そこにはもちろん大野さんも加わっていた。世間の肩書などは気にせず、みんな純粋に星を観察し、楽しむための施設になるようにと、台長は藤井氏の愛犬であり、星仲間ともよく行動を共にしていた北海道犬の「チロ」が務めることになった。勇猛、勇敢なチロは、責任者に適任だと星仲間の誰もが賛成した。

仲間や協力者で資金を出し合って設立した天文台だが、まだ若かった大野さんは、資金を出す代わりに広報担当として、運営面で協力することになった。
人前で話すのが得意ではなかった藤井氏や、人の言葉が離せない台長チロの代わりとなり、前面に立って白河天体観測所の取材などに対応した。今の「話上手な大野さん」の礎は、きっとここにあるのだろう。

「都会の人が星を見られるように」という想いもあり設置した白河天体観測所だが、決して広くはなかった。そのため、大人数で星空観察ができるようにと、大野さんたちは「星空への招待」という星祭りを開催した。標高約2,000mの山の上で行われたこのイベントには、2,000~3,000人の人が訪れた。このイベントは、その後10年間に渡り毎年開催されることに。そしてこのイベントを開催した場所には、その後「福島市浄土平天文台」が置かれることになる。

大野さんが青春時代を費やした白河天体観測所での日々は、藤井旭氏が記した『星になったチロ』(ポプラ社、1984年発売)にも詳しく記載されている。当時、読書感想文の指定図書にもなったこの本を、手に取った方も多いのではないだろうか。

「星空への招待」。チロや星仲間と共に 【ご提供】星の村天文台

滝根町の一大事業「星の村天文台の創設」に関わり、台長に就任

さて、ここで一言説明しておきたいのが、大野さんの本職だ。ここまで星の話をしていたのだから、白河天体観測所で働いていたのだろうと思った方もいるかもしれないが、実はここまでの話は全て大野さんの趣味の話。大野さんの本職は、実家で営んでいた染物屋と呉服屋だ。染物屋は両親の代で廃業したため、大野さんは呉服屋を経営している。しかし、「呉服屋はほとんど妻に任せていましたね。3人の子供も、妻が一人で育てたようなものです。私は本当に自由に星ばかりを追っていました」と、自分の生き方を振り返りつつ、自由にさせてくれた奥さまへの感謝を口にする。

自由に星を追っていた大野さんですが、ここで転機が訪れます。
当時、「地底の宇宙」とも呼ばれる人気観光地「あぶくま鍾乳洞」を有する福島県田村郡滝根町(現田村市滝根町)から、「『地底の宇宙』があるので、『本当の宇宙も見せたい』と、星の村天文台創設についての協力依頼を受けた。「本当は星の観察は仕事ではなく、自由にやっていたかったんだけどねぇ」とこぼす大野さんだが、多くの人に天文の魅力を知ってほしいという想いもあり、天文台の創設に協力。県内一大きな望遠鏡を設置、完成後は台長に就任することが決まった。

星の村天文台では、巨大望遠鏡を使った天体観測はもちろん、来館者の案内、プラネタリウムのストーリー作成、移動式プラネタリウムでの出張天体観測など、精力的に仕事をこなした。天文台の夜間公開の日は、1日で200人ほどやってくる来館者に、星や宇宙の説明をする。サービス精神旺盛で話上手な大野さんの説明を聞いた人たちは、子どもからお年寄りまで、目を輝かせてその話に引き込まれていく。ラジオやテレビなどのメディアに大野さんが登場し、天文の解説を聞くこともしばしばだった。

どん底から救ってくれたのは、日本中、世界中の星仲間

「自由な天体観測」はなかなかできなくなってしまったが、多くの人に天文の魅力を伝えるという大事なミッションをこなしていた大野さん。この仕事をしていて、1番大変だったことはなんですか?と聞いてみた。答えは「東日本大震災の時のこと」。その日、震度6の大きな地震が星の村天文台のある田村市を襲った。直前まで巨大望遠鏡で太陽の観察を行っていた大野さんが、昼食のため階下に降りた直後に地震は起こった。立っていられないほどの揺れだったが、咄嗟に頭をよぎったのは、「巨大望遠鏡」。急いで上の階に戻り、目の前に広がった光景に、大野さんは愕然とした。重さ5トン程ある望遠鏡の3トン分が、地面を突き破り、落下していた。額にして億単位の望遠鏡。新調するなど、考えられなかった。「これで天文台も終わりだ…」大野さんはそう思った。

どん底の中にいた大野さんを励まし、助けてくれたのは、日本中、世界中にいる星仲間だった。各地から支援物資や支援金、励ましのメールや手紙が届いた。「ぜひ再開してほしい」という声も多かった。望遠鏡の要であり、大野さんがとにかくこだわり作ってもらった「鏡」の無事も確認された。田村市としても再開の方針となり、震災から1年後、ついに望遠鏡の再設置工事が開始、星の村天文台は再開した。再び設置された望遠鏡には、支援してくださった人たちへの感謝を込めて、「絆望遠鏡」と名付けた。

震災で破損した望遠鏡は、当時を忘れないようにと、今も本館の1階に展示されている

豊かな自然環境に恵まれた、田村の星空

田村市の星空の特徴についても聞いてみた。
「田村市は、どこにいても星が見えますね。天の川だってしっかり見える。玄関を開けて空を見上げると、宇宙が広がっているんです。関東の人たちが、わざわざ星を見るために天文台にやってくるのを考えると、とても良い環境ですね」

「そもそも天体観測には、3つの世界があるんです。1.望遠鏡の世界 2.双眼鏡の世界 3.肉眼の世界。田村市には何より天文台がある。星の村天文台に来れば、その3つの世界の楽しみ方を、教えてあげますよ」

「自分が守る」から「親子で守る」天文台へ

現在、星の村天文台の運営は、大野さんが立ち上げた会社「株式会社 大野企画」で業務委託を受けている。10年間社長を務めていたが、今はUターンした息子さんが後を継いで社長になり、大野さんは会長となった。

「プラネタリウムの運営やYoutubeでの生配信なんかは、今は息子に任せているんです」今まで大野さんが大切に守ってきた田村市の天文台は、今後は親子で守っていく。

少し天文台から離れる時間も取れるようになった大野さん、「一昨年は、宇宙や天体に関する本を5冊執筆しましたね」「今後は、世界中にお客さんを星空観察ツアーに連れていきたいなと思っています。今のところ、私が行くオーロラツアーは全勝(毎回オーロラと遭遇!)なんです」星空のプロが統計に基づいて計画する星空ツアー、確かに的中率は高そうだ。

「いずれは、妻と2人かな?自分たちのためだけの星旅に出たいですね」
これまでも、これからも、大野さんは星と共に生きていく。

【ご提供】星の村天文台

星の村天文台についてのお問合せ

星の村天文台

住所:〒963‐3602 福島県田村市滝根町神俣字糠塚60‐1
電話番号:0247‐78‐3638
URL: https://www.city.tamura.lg.jp/soshiki/20/
休館日:毎週火曜日(12~3月中旬は火・水曜日、年末年始休館あり)
駐車場:200台(無料)