バイタリティが半端ない!絵本になった農家さん

佐久間辰一/農家

大越町

FARMER

タバコ農家を営む両親の元に、4人兄弟の長男として誕生した佐久間辰一さん。62歳まで教員として働き、その後自身も農家の道へ。めずらしい作物を育てるかたわら、「頼まれごとは試されごと」という言葉を大切に、田村市に賑わいを取り戻そうとまちづくりに関わる様々な活動に取り組む。2018年には辰一さんをモデルにした絵本「ぼくのひまわりおじさん」が発売されている。

教員辞めて、新規就農。どうせやるなら「なにそれ!?」って思われる作物を

辰一さんの故郷は、田園風景が広がる田村市大越町の牧野(まぎの)という地域。当時の田村市はタバコの原料となる葉タバコの栽培が盛んで、辰一さんの実家も葉タバコ農家として生計を立てていた。ただ、時代とともにタバコ農家は減少。農業高校で長年教員として働いていた辰一さんが退職し、「農家になろう!」と思った時には、すでにご両親はタバコ農家を辞めていた。

「じゃあ何を育てよう?」と考えた時に浮かんだのが、南国の果物パッションフルーツ。教員時代にたまたま1鉢もらって、そこから挿し木で増やしていたら、なんと300鉢程にまで増えた。当時福島県内で栽培している人はまだいなかったので、それなら農家としてパッションフルーツでもやってみようと思い、パッションフルーツ農家になった。

でもそれで終わらないのが辰一さん。その後も変わった野菜、珍しい果物と出会うと自分で育ててみたくなり、今ではツルナ、おかわかめ、インサイ、バタフライピー、食用ほおずき、キワーノなど、50種類程の珍作物を栽培。おかげで苦労や失敗は絶えないし、珍しい作物なだけに消費者は食べ方が分からず、なかなか収入とも結びついていないとか。それでも「食べ方を書いた紙を一緒に入れて販売しようかな」と常に前向きな辰一さん。

辰一さんに聞いてみた。「そんなに大変なのに、どうして農業なんですか?」すると、かえって来た答えは2つ。1つは「やっぱり植物を育てるのが好きなんでしょうね。」朝4時、まだ薄暗くて肌寒い中畑に出たときの澄んだ空気が、気持ちいい。心も体もさっぱりと洗い流してくれる空気。農業こそが辰一さんの健康の秘訣だ。

もう1つの理由は、「植物からはたくさんのことを教えてもらえる」から。柿が派手なオレンジ色なのは子孫繁栄のため、背の低いたんぽぽは冬に光合成をすることによって生き延びてきた。辰一さんが語ると、なんだか植物が身近になる。「植物は1つ1つ違う特徴と、それに合わせた特性を持っているんですね。それは人間にとっても学びになることばかり。今までも、大切なことは植物が教えてくれました。」

「花を見ながら一杯やるか!」から始まったひまわり畑

辰一さんの活動は農業だけに収まらない。夏に牧野地区を訪ねると、そこには見事に咲く3万本のひまわり畑。これを手掛けているのが、辰一さんが会長を務める「牧野ひまわり会」。立ち上げのきっかけは飲み会だ。27年前、牧野地区は区画整備によって殺風景になってしまい、同時に勤め人が増えたことで世代間の交流も減っていた。

そんな時、地元の仲間2人と飲み会をしていた辰一さんは先輩から「花を見ながらみんなで一杯やるか!おまえ、会長やれ」とご指名を受けることに。この一言が後に、牧野地区の住民全員を巻き込んだ「牧野ひまわり会」を生み出すことになる。飲みニケーション(飲み会でのコミュニケーション)の大切さを教えてくれる一件となった。

そこから段々と活動は広がって、今ではあじさいやコスモスの植栽、冬のイルミネーションの装飾なども牧野ひまわり会で行う。地元の小学校に行って植物の話をしたり、ひまわり染めや茎を使った杖作りを教えたりと、地域との交流も増えた。5千本から始まったひまわり畑は、今や3万本。毎年8月15日にはこのひまわり畑で地域の人たちによる手作りのひまわり結婚式が開催され、毎年5組前後の新郎新婦が全国から参加する。

震災をきっかけに、2012年からは「ひまわり里親プロジェクト」を運営するNPO法人チーム福島という団体と一緒に活動している。その団体から「福島でやっていることをみんなに伝えたい」という話があり、辰一さんをモデルにした絵本『ぼくのひまわりおじさん』が制作された。登場する「ひまわりおじさん」の笑顔は優しくて、まばゆくて、まさに辰一さんの笑顔そのもの。今ではすっかり「ひまわりおじさん」「ひまわり先生」と地元の子どもたちや、ひまわりの活動に参加してくれた人たちから呼ばれるように。

人と話すのが楽しくて仕方ない!自然と人が集まる場所に

みんなから頼られる辰一さんの活動は他にもある。5年ほど前には、地元にスマートインターチェンジができるということで、せっかく来てくれた人に足を止めてもらおうと「農を活かしたまちづくりの会」を立ち上げ、直売所を始めた。

将来的には、地元の特産品だけではなく日用品も揃え、送迎付きで地元のお年寄りが買い物できるようにしたり、加工所を併設して地元の人の働く場所を作ったりしたいと今後の展望を語る。「テントでも張って、みんなでお茶飲んでおしゃべりして、そんな地域の憩いの場所になったらいいですよね。」

移住定住を目的にしたグリーンツーリズムの活動では、コロナ前までは年4回、田村市でツアーを開催していた。辰一さんの農園にも、収穫体験や田植え体験で参加者が訪れる。中には毎回参加してくれる親子もいて、交流が続いている。

他にも、辰一さんを慕って全国から修学旅行生やガールスカウト、高校生や親子連れが家に立ち寄り、多い時には30人ほどが泊まっていくこともある。「自分の失敗談を話して参考にしてもらったり、自分と違う世代や立場の人と話して新しい学びをもらったり、とにかく人と話すことが楽しくて仕方ないです。」そんな辰一さんだからこそ、彼のもとにはいつも人が集まってくる。

残された時間はおよそ60年!やりたいことはまだまだたくさん

今年70歳になった辰一さんが先日気づいたこと。それは、自由に使える時間があと60年分くらいあるということ。「私が100歳まで生きるとすると、あと30年。でも自由に使える時間としては、勤めていた時よりも1日8時間ほど多い。教員時代で考えると、あと60年分くらい自由に使える時間があるんですね。なんでもできますよね(笑)」

ということで、今後は自宅にある空き家(江戸時代末期の古民家)を交流スペースに再利用することも夢の1つと語る。宿泊や講座ができる場所に、そして色んな人が夢を語れる飲みニケーションの場にしていく予定だ。「どんな活動も楽しくなくちゃ続かない」と話す辰一さんらしく、その顔は希望に満ちている。

最後に移住を検討している人へのメッセージをいただいた。

「もし移住者の方が来てくれるなら、私たちは大歓迎です。田村市には、大都市にはないものがたくさんあります。人間として生きる上で大切なものがきっとここにはあると思います。それが何かは1人1人違うと思いますが、ぜひ田村市に来て、自分だけの宝を探してみてほしいなと思います。」

辰一さんがいる安心感。これも田村市の魅力だ。

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